論破禁止(ひろゆきの論破を論破するの文字起こし版)

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*可能な限り丁寧に文字起こしをしていますが、音声が不明瞭な場合、複数の人が同時に発言している場合など聞き取れていない場合は文字起こしをしていません。また、( )内は福澤が補っているものです。

ナレーター9月27日に執り行われた国葬のぜひです。2万5000人を超える人が県会を訪れた一方ではい。国葬反対派との衝突が起こる事態となりました。その他にも今年は社会で様々な課題が浮き彫りにそのたびに賛否がわかれる議論が勃発することとなりましたしかし攻撃的、高圧的な話し合いはしたくない。

多様性って言うけど、それじゃ答えはでない。民主主義はどこまで少数意見を重んじればいいのもう議論したって埒が明かない。結局どれだけ議論を重ねても答えにたどり着かぬままそこで今夜最初のテーマにしたいのはどうすれば話し合えるのか? 意見が違う人とどう議論をすればいいのか、今こそ改めて考えます。

司会者:はい、ということでね。今年も様々議論してきましたけれども、お二人、まずどう思っていますか。山崎さんいかがですか。

山崎:私自身はアベプラ見ていて論破された、してるかっていう観点では見たことがないので、なんか論破したって言われたりとか、論破されたなって言って嫌な思いするんだったら、別に無理して関心を持たなくてもいいのかなっていう気はしてて、いらつきを発してるっていうことに対して喜んで言ってくる人ももちろん中にはいるだろうから、その栄養分を与えないで気にしなければいいだけなのかなという気もする。自分の視界から見ないようにするっていうのもありなのかなと思います。

司会者:なるほど、ありがとうございます。ですから、見る側のね、意識っていうところも一つ、今日の議論の中で考えていくところかもしれません。どう見たらいいのかというのも一つ論点かもしれません。ローズさんがでしょうか?

(司会者は、相手が自分の質問に答えないことを指摘しない。このあたりのことは学校教育でもあまりされていないので、番組の中でやってもいい)

ローズ:これ自身僕すごく自分の人生のテーマであるといいますか。僕が自身5歳で日本に来たときに、すごいいじめだったりとか日本の、外見の違いだったりとか、文化の違いですごくいじめられたっていう経験もあって、すごく僕がずっと考えている問題でもあるんですね。その中で僕が自分にずっと言い聞かせている言葉があって、if I was him,僕が相手だったらっていう言葉をずっと常に自分の心の中で自分に言い聞かせているんですね。絶対そうすれば相手の意見にも寄り添えるし、その攻撃的な言葉は出てこないんじゃないかなっていう僕はそういうふうに思っています。

司会者:なるほど、そうですね。どういう心持ちでね、議論に臨むのかということですね。はい、わかり合える議論ということですね。ですから、様々議論してきまして、この番組のですね、キャッチフレーズ、「みんなで喋るとニュース面白い」ということでお送りしてきましたけれども、ご覧いただきましたようにですね、場合によってはですね、隔たりだけが目立ってしまうような展開になったり、議論が深まらないということもありました。来年に向けてですね、人を傷つけることなく前に進めるにはということで、議論をどうしていけばいいのか、議論の作法についてですね、去年に続いて考えていきたいと思います。

ではゲストをご紹介いたします。今年もアベプラで数々のゲストに向けての直球のコメントで、担当ディレクターが謝罪に追われました、論破王とも呼ばれています。アベプラ金曜MCのひろゆきさんです。どうぞお願いします

ひろゆき:今日のテーマで、なんで僕、呼ばれたんですか。

司会者:いやいや。渦中の人ですよね。言ってみればね。

ひろゆき:僕がいない方が、みんなが和気あいあい楽しいことになったんじゃないかな。

司会:中心的人物でもありると、思っていますので、ゲストというお立場で今日はよろしくお願いします。続きまして論争好きの政治家として日夜ですね、国会と、Twitterで議論を繰り広げていらっしゃいます、もと新潟県知事の米山隆一衆議院議員です。どうぞよろしくお願いします。

米山:ありがとうございます。僕もなんで呼ばれたんかな、みたいなね。だいぶ議論好きでしかも、基本僕はあえて打ち負かします。打ち負かさないための議論なんて意味ないです。

司会者:そのあたりの思いをきちんと聞かせて。何でもお2人はツイッター上でこうやり合ったりもしますけど、会ったことあるんですか。

米山:今、初めて会いました。

司会者:ちょっと、緊張感が。そうですね、できれば気持ちよく年をまたぎたいなっていうね、新年迎えたいなとは思ってます。

西山:アベプラの良いところはTwitterと違ってちゃんと顔が見えるところなので。

司会者:2人とも議論のプロですからねそこはちょっとお手本的なね、見本を見せてほしいなと思っています。はいさらに今日はですね、オーディエンスゲストもお迎えしております。10月のアベプラ特集「対話が苦手な若者たち」にご出演いただきました、31歳のポン乃助さんです。ポン乃助さんどうぞよろしくお願いします。

ポン乃助さん:よろしくお願いします。

司会者:こんばんはありがとうございます。ポン乃助さんには今日の議論を見守っていただいて感想をポイントポイントでお聞かせいただけますけれども、ちなみにアベプラは金曜日みたいな激しいやり取りが苦手ということですけれども、例えばどんな言葉がしんどいですかね。

ポン乃助さん:なんか、ひろゆきさん本人の前で言うのは、非常にちょっと恐縮なんですけれども、強い詰問されるときがちょっと苦手で、特には「はいか、いいえで答えてください」ってもし言われたら、そこは私も焦ってしまって??とか言ってしまうんじゃないかなっていうふうに思います。

司会者:ありがとうございますこれいきなり本題に入っていきますね。この打ち負かさない議論っていうことで様々な声があるんですけど。例えばね、高圧的な話し方とか、個人攻撃とか、相手を詰めないというのも入ってますね。でも今おっしゃったみたいにね、確認するために聞かなきゃいけないことっていうのはありますよねと。主義と主張とか、その根拠を知るために確認するんだけれども、詰めてる様子は結構見てる人はしんどいと思ったりもすると、ここをまずどう考えたらいいのかというところから入りますかそうすると、ひろゆきさんどうですか。

*以下の表はyoutubeの画面にでています。

ひろゆき:例えば嘘ついてる人がいて、嘘ついてるよねって言わないままそれがメディアで流されました。それを聞いた人がみんなそれに騙されましたって、被害者が生まれちゃう行為なので、僕は、それはメディアでやるんだったら止めた方がいいんじゃないかなと思うんですよね。

司会者:そうですね。ここはひろゆきさんと私もちょっと賛同するとこがあって、間違えているのかどうかの確認のために、何を根拠にそれをおっしゃってるのか、っていうのを聞くんですけども、この本当にあれですね、言い方、話し方の問題で、、

西山:嘘とか被害者とか、何かその時点で過激じゃないですか、っていうので、多分何でそんなにきつい言い方をするんだろうっていう人は結構いるんじゃないかなと思いますけど。ちなみに、ひろゆきさんって、メディア以外でもそういうふうに言うんですか、嘘ついてますねとか。

ひろゆき:いや全然

西山:あえて、、、。

ひろゆき:メディアって、あくまでその中立であるとか公正であるとかって一応ネット番組ですけど、あのテレビの場合とかって法律で決められてるんですよね。なので枠内でやるべきで、別に友達と話してるときだったらそうなんだで終わりですね。

司会者:なるほど。米山さん、最初にね、スルーしましたけども、それこそもう打ち負かしてもいいんだというぐらいのことをおっしゃってましたけど、その思いをまずちょっと聞いておかないと、前提条件として皆さん共有したいなと思うんですけど。

米山:議論で何のためにするかって、やっぱり一定の結論を出すためにするわけですよね。いや私はバラが好きであなたは菊が好きです。はい、そうですね、というのであれば、そもそも議論する意味ないわけですよ。そうじゃなくて。あの方に、一種類しか売られないとしたら、バラがいいか菊がいいかって話をするわけでしょ。それでそれからバラか菊の話ならどっちかいいかもしれませんけど、やっぱ国葬するしないみたいな話だったらそれはちゃんと詰めなきゃいけない。何らかの形で、それはもしも他の誰かを知らずに傷つけても絶対譲れない主張があるから議論するわけだから、全くその結論出さないなら、そもそもしなくていいじゃんだと思うんですね。ちなみに僕今ね、ひろゆきさんに「嘘でしょっ」て言いたいんですけど、ひろゆきさんまず僕とね、ツイートでこんなこと言ってんすよ。

国葬に税金を使うのがよくないなら税金から出てる給料で援助交際をしていた米山さん良くないですね、主張に一貫性がない人は道徳まで語りだしたので、(一貫性の)ない人が道徳まで語り出すと頭がおかしくなったかと思いますって思って笑ってしまいました。すいません」って、もうこんなの議論じゃないじゃないですか。これ単なる人身攻撃で、やっぱりそういうふうにちゃんと論として議論をするのはどこまでもやったらいいと思うよ。これが正しいか正しくないかはね。さっきのね、イエスですかノーですかかっていうのも、いや、それは落ち着いて聞けばいいんですよ。イエスですかノーですか、本当ですか、嘘ですかって。でもそれを、「イエスかノーか今言え」みたいなのは、それは相手を驚かせて、びっくりさせて議論を、単に自分が勝っているように見せる、ひろゆきさんってそういうのをひたすら使っているから、ひろゆきさんが、あの議論っていうものをね、みんながなんか敬遠してしまっている。僕の愛する理論道を汚している人だと思う。

司会者:議論道をもうちょっとだけ詰めたいんですけども、要はあれですよね、人と意見を切り分けるっていうのは、そこはちょっと言っておいてください。

米山:なぜ議論って論なんです。これがいいか悪いかをやって、やっぱりそれはいくらやったらいいと思うんで、ひろゆきさんみたいにね、人身攻撃に行ったり、もしくは何て言うか、それはあなたの感想でしょみたいな、「それは感想だよ。俺の感想に決まってるだろうと、ひろゆきさんの感想を俺が言うわけないだろう」のような話をして、相手をびっくりさせて、何か議論を勝ってるように見せるみたいなのはそれ議論じゃない。それは議論道から外れる。

司会者:ありがとうございます皆さん今日ね、これ1時間あります。

司会者ひろゆきさんどうぞ。

ひろゆき:今の話はここで話しちゃっていいんですか。なんか2人だけの、、、。国葬に関していうと、その例えば数値化できるものってあるじゃないですか。これ幾らかかってて、いくら儲かりましたみたいな数値ができるのであれば、それじゃあ出してこうだよね。結果としてこれが正しいか正しくないかっていう答え出るんですよ。でもその感情に関するものっていうので、国葬やった結果国葬やってよかったよねって人もいれば、やんない方が良かったよねって人がいますと。それがいくらが適正かって答えないんですよね。正月参賀日、天皇が手を振りますって言って、あれもそれお金かかるんですけど、あれによって1円でも誰が得するのっていうと、別に得はしないですよ。でもそれを見て日本っていうのは天皇という象徴があるよねとか、何か参拝にいけて、触れてよかったよねって思う人がいると。その数値になるものと数値にならないものっていうので、その議論のやり方が違うと思うんすよね。なので、僕、数値にならないものは結構どうでもいいんですよ。なので、そうじゃないものと、その中でごっちゃにするっていうので、なので数値化できるものでも、その思いで言っちゃうとそれ思いで決めるんじゃなくて、数値とか証拠とかで決めた方がいいんじゃないですかっていう話なんですけど。

西山:それと、その例の援助交際が出てくるっていうのが問題なんじゃないすか。国葬の話をすればいいのに、そこで米山さんの、なんていうか個人的な問題というに関してっていうのは、、、。

ひろゆき:国葬の話は道徳の話になっちゃうんですよね。要は国葬反対派の人がその人の葬式の場合でも騒いでいいんだと、思ってるっていう発言をしてるわけじゃないすか。やっぱり、それは葬式人の葬式の前でそれやっちゃいけないよねって思う人もいるっていう道徳の話なので。なのでその道徳として語るのであれば、その道徳を語れるだけの根拠があれば、、。

米山:それがいけないの。

ひろゆき:ある種の違法行為を平気でやっちゃう人なわけじゃないですか。

米山:ひろゆきさんが?

ひろゆき:女子大生に対して4万円とか払って、、

米山:今の話と関係ある?

ひろゆき:関係ないですよ。

米山:関係ないよね。

ひろゆき:そういった行為を、犯罪行為になるようなことをしながら、でもそれは証拠がなくて違法でもないから大丈夫です、ごめんなさいっていうので逃げ切った人じゃないすか。そのような人が、その正しいかどうかとかっていう道徳を話すべきじゃないと思うんすよね。あと今、「ひろゆきさんですか」って聞かれたんすけど、どういう意味ですか?

米山:ひろゆきさんも似たようなことしなかった?

ひろゆき:僕全く使ったことないですし、女子大生に金払ってホテル連れ込んでとか、泣きながら謝罪会見でね

米山:こういうのが、もうさ、本当に単なる人身攻撃でしょ。国葬の話したらいいじゃない。なんで俺関係あんの。国葬の道徳ということと俺の道と関係ないよ。

ひろゆき:僕が喋ってる最中に、「ひろゆきさんが」という個人を出したのは米山さんです。僕は国葬の話しかしなかったですね。なので、個人の話を持ち出したのですあなたですよ。

米山:いや、あなたですよ。僕は議論の話、、

ひろゆき:「あなたなんです」とおっしゃいましたけど、僕、米山さんの個人の話今回の番組で1回でも言いましたか?

米山:言いましたよ。

ひろゆき:言われたので反応しただけですよ。

米山:これだからね、

西山:これがまさにね。

米山:こうやって、ごまかしてるからあなた。

ひろゆき:どこをごまかしたか言ってもらっていいですか。

米山:言うよ。だって国葬の話をしているでしょ、国葬の道徳でしょ。それと僕の道徳は何の関係があるのって答えてくれる、

ひろゆき:道徳は人によって違うものだから。

米山:答えてないから。僕のね、道徳と国葬の道徳と何の関係があるか今答えてくれる?

ひろゆき:道徳は一人一人考えがあって、(道徳は)こうですよっていうときに、その悪いことをしている人が道徳はこうですって言っても、「いやいやあなたは悪いことしてる人じゃないですか、そもそも考え方がずれてません」って、なりません。

米山:そうならない。

ひろゆき:それなら例えば僕が人を殺してました。で人殺した人が「こうやって人が生きるべきなんだよ、正しい人の生き方はこうなんだよ」(でも)お前人殺してるじゃんって話じゃないすか。それで、違うところに関して話す場合であれば、その人がどういうポジションでどういうことをやってきたかとかどういう考えがあるかっていうのは、聞いてる側は影響を受けるんですよ。

米山:聞いている側はうけるよ。聞いている側は影響を受けるけど、死刑が賛成か反対かっていうことに対して、それを議論してるんだったら、殺人犯だって「反対だ」って言っていいんだよ。それが議論というものだからね、それはあくまで死刑というものが賛成と反対がいいかどうかって言ってるんだから、、

ひろゆき:死刑の話はしていません。道徳の話で、、、

米山:その人が人を殺したら殺してないか、その人が道徳的か道徳的でないかは関係ないんですよ。

ひろゆき:米山さんは、道徳的かどうかは関係ないというポジションというのもわかりました。ただ、聞いている人が、この人が言っていることが正しいと感じるときに道徳がある人、もしくは道徳の欠ける人が言っているのかっていうのも影響はあるので、なのでそれは事実としてあるんだったら、出してほしい。

米山:事実としてあるからね、感じるのは自由だよ。聴く人がいくら感じてもいいよ。どうぞ、と思うよ。でも、それは議論じゃないよね。今、議論しているのは、国葬が道徳的かどうかという議論をしているのであって、僕が道徳的であるかどうかって議論はしてないんですよ。いろんなものをごちゃまぜにして、あなたはそうやって話を混乱させて自分が勝ったったふりをしてるだけなんです。

司会者:ありがとうございます。一旦止めますよ。まだまだ、ちょっとまだ、これあんまり生産的ではないが、生産的だと米山さんがおっしゃるならいいんですけども、そもそも私は過去にあったことを引っ張り出して、今回の議論について話すのはあんまりよろしくないと、私は米山さん寄りの立場ではありますけども、その話を持ち出したのは米山さん自身だったということを考えるとやむなしの展開でもあるってことは、、、。

米山:や、むしろこの話はすべきだと思う。そういうふうに、人の俗人的なものを引っ張り出すべきかどうかって大事なことだから、うん、

若新:でもあの真面目にコメントすると、2018年にひろゆきさんが出したあの「論破力」って本があるんですけど、そこでひろゆきさんが、やっぱ、議論を行うための前提、ブームが起こる前から、前提をどうデザインするかっていうことを結構こと細かく書いていて、これがすごい秀逸だと僕は思ってるんですよ。

前提は、ジャッジは誰かってことを本に書いてて、今の話ってやっぱりツイッター上の議論とかこれ番組上の議論でここに審判がいて、裁判官がいて、あるいはその何か学会で言うとこなんか審査員が行ってジャッジするわけじゃなくて、(ジャッジは)オーディエンスじゃないですか。たくさんのオーディエンスが判断するってことは、ひろゆきさんはすごい僕は上手に捉えているのかなと思って、、。

オーディエンスが一般の多数の人であると、別にその場所によっては議論にあの、その人が過去何やったかは裁判とかは関係ないですよねって言えるし、学会とかだと、その人がどういう研究者だったかってことの個人的なことと、研究成果の発表は関係ないんですけど、僕らが巷できく議論というのは、「お前こんなことやってたのにお前が言うかよ」っていうふうな感情を一般のオーディエンスを持つっていうのが人間らしさだと思うんすよね。ひろゆきさんは、常にオーディエンスをジャッジとして捉えてるっていうところが僕はあるんじゃないかなと思っていて、それを関係ないよっていくら言っても、誰が議論を見てるかっていうことは結構でかいし、この番組も誰に向けてやっているかっていうか、視聴者を全く無視してやってれば、何か審判とかルールとかがあればいいんでしょうけど、僕らやっぱりオーディエンスにちょっと媚びてるところといういうか、オーディエンスを気にしすぎてるところもあるんだろうなと、そこに関してひろゆきさん、すごい僕はやっぱりものすごく捉えて秀逸かなって思う

司会者:とちょっとだけ待ってくださいね。ポンの助さんに聞いてもらって、ちょっと感想聞いてみます。

ポンの助:そうですねちょっと多分実際そちらに行ってたら、体が固まってたかも。あのテレビでやっぱり見せるさっきお話もありましたけど、あのテンポ良く見せることってやっぱり視聴者にとって大事だと思うんですけど、実際の議論だともう少し相手の意見を受け止める言葉とか最後まで相手の話を聞くっていう形があると私でも本音で話しやすいかなっていうふうに思いました。

司会者うん、ありがとうございます。

米山:僕はそうだと思うんです。それだから、聞く人が判断するんだから、それは聴く人からそう判断されるのはしょうがない、それはもう好きにしたらいいし、ひろゆきさんがそうやって煽りたいなら煽ったらいいよと。それは受け入れますよって俺がしたことだし、でも「それ議論じゃねよ」ってことなんです。

そりゃ、あなたがやっているのはオーディエンスを煽ってることであって、正しいことを何か見つけようとしてるんじゃない、何かこ好みの問題は正しい正しくないはわからないんだけれども、なにせ、着地点を見い出そうとしてるんじゃなくて、単にオーディエンスを煽っているだけですね。

司会者:今の米山さんの話で言うならば、米山さんが何を言ったかになっちゃてて、何を言ったかの中身じゃなくて誰が言ったかになっているわけね。

若新:でも僕はあえて米山さんにお聞きしたいんですけど、そういうのって別にTwitter上とかメディア上でやらなくても、個別に会って話すとかそういうクローズなどもあると思うんですけど、あえてTwitter上で議論するってなると、それを見てる人たちが、やっぱオーディエンスとして存在することは無視できない気がして、それが一つのツイッター上の議論のオーディエンスがたくさんの人が見てるっていうかルールというか前提というか設計になると思うんですよ。それを無視しても僕はあんまり意味ない気がする。

米山:だから僕は全然ないです無視してなくて、うん、そう見られていいですと。どうぞ他の誰かねもしも他の誰かを知らずに傷つけてもいいし、なんなら自分が傷ついても、どうしても言いたいことがあるから主張するわけです。だからそういうつもりでやってる、

司会者:ありがとうございました

山崎:そもそもひろゆきさんが米山さんにそういうツイートを送ったのは議論のつもりで送ったんですかということです。

ひろゆき:全然覚えていない。

山崎:そうですよね。別に議論のつもりで送ってきてなくても、相手が本人の受け取り側はこれ議論だとか、何かちょっと戦いをかけてきてるとかって思っちゃうのって、なんかそれもそれなんだろうなと思って、別に相手が議論するつもりじゃないのにこっちが勝手に喧嘩を売っちゃう、買ちゃったっていうのもなんかちょっと埒が明かないところですね。

ローズそもそもどっちが先にどっちなんですかね。それ知らないで言っても

米山:ちなみに、それはまず、ひろゆきさんが国葬のことを言って、こういうのは不道徳だってって、そんな不道徳とかそういうことないでしょう。別に、これは国家でやってることなんだから反対があるのは当然でしょって言って、そこに来たわけです。ちなみに、。それにも反論があって、いやひろゆきさんは議論のつもりないかもしれない。僕は議論と捉えたかもしれない。でも、それがそれこそTwitterの仕様じゃないですか。あなたが議論でないと思ってることを私が議論と思ってもいいですよね。別にそれは自由でしょ。どちらがどう捉えるのも自由で、どちらがどう捉えてもそれは好きにやったらいいわけです。だから僕はそれは議論だと思って。そんなふうにちゃんとね、国家がやること人対して正当に反論している、反対している人に対して、道徳的でないから反対するなんていうのは民主主義国家としてあるべきことであると。

山崎:だから結局そのひろゆきさんがそのつもりなくもし送ってたとして要するにその米山さん的には肩透かしにあってるわけじゃないですか。もうそれはそれで終わりじゃないんですか。

米山:別に肩透かし、それでいいんですよ。ひろゆきさんがどんなつもりでもどうでもいいです。でもそれに対して僕はちゃんとツイッター上で、いや僕はこれに対してこんなのは意味がないことだと、私に対する単なる個人攻撃で何にもないことだと思いますよって僕の意見を表明している。

山崎:それでいいじゃないですか、

米山:別に終わらせる必要もない。僕は好きなだけ、、

司会者:むしろひろゆきさんは、220万フォロワー今確認しましたけど、いる中でものすごい玉とんでくると思うんですけど、反論したりするしないみたいな判断ってどういうふうにしてんすか。

ひろゆき:でも暇なときに面白かったらやるぐらいで。

司会者」面白かったらって感じですか。

ひろゆき:面白くなかったらそんなのどうでもいい。ただちょっと議論のその作法の話ですけど、そのローズさんのした質問で、どっちが先に話したんですで、かこっちですで、情報が出て終わりのはずじゃないすか。僕そうやって議論で進めるべきだと思うんですけど。情報を出した後に、米山さんが僕に絡んできたっていうようなとき、また理由を付けるじゃないですか、これをやりだすと多分私もこれ喋りたいあれを喋ったりで議論が進まないんすよ。なので人は端的に喋るべきだと思うんすよね。

米山:端的に喋りたいと思う。

司会者:そこはね。でもごめんなさいね。私米山さんの言っていることを意味のある反論だったと思いますよ。なぜ絡むのかと、それはネット上の自由な言論空間だと、誰かが意見をしたのに対して自由に言える空間だと。嫌だったらブロックしてもらえばいいというところも含めたニュアンスで、国会議員として、あるいはツイッタラーとして発言された、いやそうだと思う。私はそれはね、つけるべき反論だと思うんです。あの適度な尺だったと思う。ときに長いときあると思う。

若新:シンプルな質問なんですけど、あえて聞いてますけど。ひろゆきさんって、ツイッター上のああいうコミュニケーションって、言論空間って思ってるんすか?

ひろゆき:なんか、別にネット上で言葉を積み重ねるものですけど、ただ、あそこで正解が出たりとか、答えが出たりとかはあんまりなくて。例えば、僕が何か言って間違ったこと言ったら、これこういうのあるよっていうもらって、これが正しいんだって新しい情報を得るはあるんですよ。ただ、「私はこう思う」の言い争いに、「あなたが言う通りです。間違えてました」ってなることほぼないんですよね。なので、さっきみたいな道徳みたいものって答えないんで、もうやるだけ時間の無駄なんですよ。だと思ってます。ただそれも含めてそういうエンターテイメントの娯楽サービスなんです、ツイッターて言ったって、

若新:いや僕はそう思いますよ。僕はやっぱひろゆきさんは、いい意味でインターネットをずっとある意味一つの使い方の提示の仕方として、オモチャ的に扱ってきて、やっぱそれを上手に遊んできた人っていうか、やっぱそこに本当にその議論ってこういうものだっていうことを持ち込んで成立するのかどうかっていうのは僕はやっぱり、、、。

司会者:ごめんね前に進めたいんで、ごめんなさい140字だとなかなか難しいという中で、今ですね、この討論系の番組アベプラも含めて非常にネット上でここ数年たくさんできてるということなんですよね。それはなんですかね、そうしたある種のブーム的にもなってるところがあって、これ論破のブームとは言わないんですけど、そういう議論のブームというかですね、この傾向をひろゆきさんはどう見てるのかっていうのはどうですか。

ひろゆき:多分傾向というか誰も傷つかないように思ったことを喋りますっていう話だと、多分ポジショントークでみんな終わってしまうんですよ。僕が絡む奴って、根拠なんですかとか、それ言っていますけど本当はどうですか、みたいなもう一段階踏み込むので、言ってる人のポジションが崩れることがあるんすよね。見てる側が普通のニュース番組より情報量が増える可能性があると思っていて、なので、割と僕が出てる番組は何か深いとこまで議論ぽくなって、もめることがあるんですけど。でも他の番組よりは情報量が多くなってるから、出しろが多いのかなというふうに思ってます。

司会者:聞きにくいことを聞くっていうのはすごく大事なことで、聞き方の問題はあるかもしれないけれども、それは非常にこの番組にとってもね、大事なことなのかなというふうには思いますね。ここは米山さん、どうですか?

米山:そこはそうだと思いますよ。全否定はしません。

司会者:議論ブーム的なところは?

米山:議論って、さっきちょっとこれ議論がでもね、議論が無駄みたいな話は僕はすごい反対なんです。僕はそれこそ生インターネットを政治家として使ってるわけですよ。本当に確かに、道徳みたいな話ってそれは結論出ないんです。でもとはいえね、国葬するかしないかで結論出さなきゃいけないでしょ。そのときに他にどうするんですかって、議論しかないじゃないですか。ね、それは、どっちか自分の主張が通るか通らないかわかんないし、相手が納得するかどうかわかんないですよ。でもお互いにやっぱりちゃんと議論をして、それで言うことは言ったと。説得は試みたとそれによって最後決めるっていうのが民主主義だから。その議論が無駄ってことはないと思うんで。それこそあのね、ひろゆきさんも今そういう議論をするとことで深まったて言っているでしょ。議論によっては深まるということにちゃんと意味があるし、それを否定しちゃいけませんよと思う。ただその議論道はちゃんと守ってほしい。

ひろゆき:補足したいんですけど、僕情報量が増える議論に関しては意味があると思ってんすけど、情報量が増えない議論は時間の無駄だと思ってるんすよ、そこは違います。

米山:反論してもいいですか。情報量が増えない議論でもいいんですよ。だって、それこそ国葬は道徳的な非道不道徳的な告訴すべき、すべきじゃないかなんて情報は増えないです。でも、しかもそれこそ、ひろゆきさんに言わせたらお気持ち議論ですよ。でも、なぜどんなお気持ち、気持ちがあるのかどうしてなのかって、お互いに言い合ったらいいわけですよ。いいやった後に最後に決めるのは誰かってそれは総理大臣を決めたらいいんです。それはちゃんと聞いた上でね。

でも、それによって影響するかもしれないですが、要するに人は議論によって変わるかもしれないってことを否定してしまったら、それも民主主義というものの否定だし、むしろ人間社会の人だと思うんですね。人ってやっぱりか、ほとんど変わらないけど、変わることだってあるよっていう希望のもとに、我々社会は成り立ってるんです、

司会者:ほとんど変わらないから。あべぱんちゃぺどうぞ。

あおちゃんぺ:うん、あれですよね議論ブームについてとかですか?

司会者:いや、全体的に今思ってることに対して。二人に対して思っていることとか。

あおちゃんぺ:どっちの意見も聞いててわかるなっていう感じがするんですけどでも、テンション感として何か、ひろゆきさんはめっちゃおちょくってるってという、言葉があるんですが、遊びでやっている感じで、米山さんはマジだ、だからなんか、ひろゆきさんに遊ばれちゃってるように見えるから、何かあんま、何だろう、そのテンションが違うとそっちが滑稽に見えちゃうじゃないすか、本気で議論してるつもりでも、片方が遊びだと。だから相手のテンション感ってのも結構大事だなって私は思います。

司会者:そこも合わないとね、かみ合わないっていうのが大体、

西山:ひろゆきさんて、遊ばれているというか、そうやって見えるような喋り方をするじゃないですか。それがなんかエンタメというか、何だろう。論破ゲームみたいな感じで、それが消費されているっていうのが今のその論破ゲームの番組の増えていることの背景に一つあるんじゃないかなと思う。

あおちゃんぺ:その論破系の番組の件に関しては、その単純に人の喧嘩って見てて面白いと思うんですよね。なんかBreakingDownとかも今すごい流行っているじゃないですか。ガチで人が何か口げんかやら、殴り合い見るタイミングって、生きててそうそうないと思うんですよ。だから、やっぱ、そういう非日常のものを見てて楽しいからじゃないかなって私は思います。多分いろんなね、理屈はあるかもしれないけど、私は普通に単純に人の言い合い見てて面白いなって思うから見るし、

若新:だって、その通りでさ、これだって、ひろゆきさんが、自分で始めた番組っていうか、自分で始めましょうと提案した番組ってないっすよね。ただ、(番組が)始まって、呼ばれて出てもらえませんかみたいで、ひろゆきさんは長年一貫してるわけじゃないすか。スタンスってのは、ずっと。僕は相当昔から(ひろゆきさんの)いろんな発言とか個人的に見てて、「この人はこういう視点で世の中見てて面白いな」っていうのは変わってないんですよ。だから。なんか、別に、ひろゆきさんが今まであった議論の形にズカズカ入ってきて、「議論はこうあるべきだ」なんて多分提案してなくて、多分、世の中の人が、そういうどっちかが論だけじゃなくて言い負かされたっていうことにスカッとするっていうか、それを楽しむ中で多分みんながひろゆきさん出てくれませんかっていうのでひろゆきさんは「暇だしいいですよ」って言って、多分サービス精神でみんな付き合ってきた気がするんですよね。それをひろゆきさんに、「なんでそんなことするんだ」って聞くのはちょっと変で、何か世の中はなぜそういうものを面白いと思うのか、そうじゃない僕たちのその個人が断罪されてたりとか、個人に白黒がつかない議論ってあると思うんですけど、それをみんながその辛抱強く胆力を持って、そういう議論を見ることができるのか、番組も再生回数稼いでビジネスとして成り立つられるのかっていう問題はあって、そこら逆に平石さんに聞いてみたいですけどね。

司会者:できるだけ前に進めたいとは思いますよね。はい。ただ、表面的に話しても駄目なのは駄目なんですよ、やっぱ、予定調和みたいに、「こういうであろう」みたいなことだけやってても、それはもう、予想できることなんで。

そうじゃなくて、ムキになる瞬間というのはかなり本気なんですよね。思わずむきになるっていうのは、やっぱり芯を食ってるんですよ。その人にとって思わず言い返したくなるとか、もう一段踏み込んだことを言うっていう瞬間っていうのは、やっぱり誰かに引っ張り出されないと自分からスイッチ入れる人っていうのはあんまりいないことを考えると、化学反応というのは意識してて、だけれども、やっぱり人を傷つけて、もうこんな番組いやだとなってしまうといけないので、ギリギリで頑張ってるんですけど、毎年これやってることは私がうまくできてなんだな。去年も同じこと言いましたよね。

若新:結局、僕も結局すごい自分自身で勝手に敗北感があって。僕この番組できたときからずっと出てるんで。それで僕は僕なりの形で場を補ってきたつもりだけど、あの昔から見てたひろゆきさんこの番組出てってという話になって、僕しばらく同じ曜日担当させてもらってたから、やっぱ、それでいろんな時代の流れもあったし、切り抜き動画のこともあって、ひろゆきさんがズバッとやっぱ相手のその理屈の弱いところを詰めるっていうことで、ボンって盛り上がって、この番組っていうか、アベプラ自体がすごく注目されるようになった。そして結局、僕は大学の学生とかにも「若新さん、アベプラ見てましたか。ひろゆきさん出てしたよね」って言われるようになるってことに関しては、やっぱ一定結局その力に誰がってことはないけど頼ってきたわけだから、僕が勝手に敗北してるんすよ。

司会者:いや、でもどうですかね。ひろゆきさんもやっぱデータに基づかないといけないと、間違えたことは言うべきではないと、確かにその通りなんだけど、そうすると、そもそもコメンテーターっていうのは成り立つのかと、うん専門家ではない人がニュースについてコメントするっていうことが許されるのか、みたいなことにもなってくると思うんすけど、ここはひろゆきさんはどう考えたらいいと思いますか?

ひろゆき:「意味のない議論が楽しいよね」っていう人は新橋の居酒屋でやっててもいいと思うんですよ。メディアでやる以上は、何らかしらメディアで見て良かったよねっていう知識なり感情なり何かを得た方がいいというふうに僕は番組作る側の視点に結構立ってしまうんですよね。元々ニコニコ動画で制作側をやってたっていうのもあるので、その中で、論破ブームで増加した討論番組っていうのがあるんですけど、アベプラを入れると多分半分僕出てるんすよ。うん。結局、普通にみんなが議論しますっていう番組って、仲良く話すと似たようなものがあって別に普通の人でもいっぱいあってそれと一緒だよねと。

でそのテレビ朝日の「朝生」っていう番組がなぜあれだけ異常に見られていて、田原総一朗さんが出てているだけで視聴率が高くて、田原総一朗がいなくなるとなぜ成立しないのか。結局、そこのエンターテイメントとして面白いというのをまずやった上で、その上で議論なり知識なりが入ってよかったので。エンターテイメントが成立しないと、それぞれニュース知りたかったらニュース番組でいいじゃん、「なんかこれについて何か共感したよね」だったら居酒屋で友達と話せばいいじゃん、スカイプでいいじゃんっていう話になっちゃうと思うんすよね。

ローズ:米山さんに聞きたいのは今回このアベプラに関して、どれぐらいの自分のエンタメとしてここに出てらっしゃるかっていうことを聞きたいんですけど、意識されているかどうか、

米山:結構、面白くない?見てる人楽しめると思う。要するに僕の役目はそれこそさっきの熱い、熱くて空回りしてるよう見えるって言われたけども僕は熱くやる役です。いやそうでしょ。そもそも自分は熱いから、

ローズ:それでもちょっと意識されてる?

米山:意識してるし、とりあえず、自分を出すのが一番いい。グラディエーターだ。自分が柔道得意なら、とかやったらひたすらやるべきで、柔道得意な人が剣道やっても仕方がないですよ。僕は熱いキャラですから。しかも、思っていること言っているのでそれなりに見てきっと楽しめると思います

ローズ:それに対して、ひろゆきさんはどう思いますか。

ひろゆき:それしかできない人が俺はこれをしかできないし俺はこれで優秀なんだっていう人が集まって議論してても多分面白くないんですよね。

米山:結構、面白いよ。

ひろゆき:要はMCの立場のときとかで、これ言った方がいいなとか、これ言わない方がいいなとかって、やっぱり状況によって口挟むか、挟まないかって判断があるんすよね。でもそれをやらない人同士が言いたいことだけ言ってたら、やっぱそれ人見ないよねっていうのがあるので、その全体を把握してどのポジションを取るかっていうのをエンタメとしてやっぱり僕必要だと思うので。ただ攻撃型だったり守備型たり、仲裁方だったりっていうのはある程度人は持ってるべきなんじゃないかなと思うんです。

山崎:はい今のひろゆきさんの意見にも同意なんですけど、確かにこの議論全てが意味があるかどうかっていうと、正直、あんまり意味のない議論も確かにあると思うんですよね。丁寧に説明するべきところをすっ飛ばして議論だとか、ただ単純にこの悪口、その「頭が悪いんですか、馬鹿なんですか」みたいな感じで言うのとかは、さすがにちょっと言葉が粗末だなとか思うんですけど。ただ、そもそも、この番組自体が誰かを説得するためにやってるわけでもないし、その何か問題を解決するためにやってるわけでも特にないじゃないですか。って考えると、何が目的で議論の場に呼ばれてるのかっていうのが認識にずれがあると、完全に無意識で無意味な何か攻撃になりかねないなと思うんですよ。

ひろゆき:なので僕は出るときは必ず見ている人の情報量を増やすっていうのは意識してますので、その考えを引き出したりとか情報を引き出したりっていう、

山崎:それを全体の番組全体のベースとしてなってるのか、よく出ている人はそれを認識している、若新さんとかもそれを認識していると思うけれど、そういうゲストに来た人とかがわかってなかったり、説明されてなかったりとかすると「知らんで、やってやるぞって」いうふうになっちゃうだけなんだろうなと思って、温度差そのテンション感の差っていうふうに

司会者:ありがとうございます。もちろんね、言いたいこと言ってくださいっていう大前提があるんですけど、こういうふうにやります、こうやりたいですっていうのを伝えすぎるのはまたこれが諸刃の剣で、こう言わされたとかですね、なりかねないところがある難しさは非常にあるんだろうなっていう、

山崎:視聴者の情報量を増やしたいんですっていう、、、

司会者:「フラットな形でやってきて、言って帰っていく」っていうのが、、、理想としてはあるんだろうなと。ただ、私が番組をやってて、この3年半ぐらいなのかな、良かったのは、とにかく、この場で結構自分の考えが変わるんですよ。それはひろゆきさんが言うところの情報だったり、誰かの意見を聞いて「そうだなと、うん、そう思ってなかったけど、よくよく聞いてみるとそうだな」と。これが、おそらく、議論する意味だと思うんですよ。「こう思ってたけど変わった」と。

それは、多数派が少数派関係ないです。多数派がより押すときもあれば、少数派の意見聞いて、「結構、それ理屈通ってるじゃんと、おかしいよねと、その人たち虐げられてるよねとか、おかしなことになってるね」って思うことに意味があって、その多数派と少数のバランスがちょっと変わっていくってことに、この番組のいい面あって、それはひろゆきさん言うように、ちゃんと情報を引き出さなきゃいけないし、「何を根拠に言ってるんですか」というのはやらざるを得ないところなんだろうね、

西山:あえて反対意見を言うと、アベプラの悪いところは、そういうひろゆきさんをはじめとして、ひろゆきさんだけじゃないと思うんですけどね、あえて、そういう、ちょっと煽るようなことを言うことで変えられるような立場だった人が、返って固くなっちゃって、「もう絶対議論したくないです」とか、ツイッターでその後、「あのときやっぱりこんなこと言われました」って燃え上がったりとかすることがあって、その議論の仕方し、仕方が逆に悪い。

司会者:言い方の問題とかいい形があるから、私はできるだけそこは止めるようにと思ってやっているところではあるんですが。プロデューサーからコメントきました。「制作的にはいろんな考え方があるってことを可視化するっていう感じですねと。意見が違っていいし人の数だけ違っていいみたいな感じです。ツイッターなどはアルゴリズムで同じ意見しか見ないし、見られないと、実社会はごちゃごちゃしいて様々な意見があります、っていうのを見せる番組が少ないというのが狙いです」。プロデューサー、自分で出て言ってください。でもそういうことでやっているんで。

山崎:誰もが自分の意見を持って戦えたりとか、するわけじゃないじゃないですか。何かいい議論っていうのが、対立が生まれる必要は別に必ずしもあるわけじゃなくて、何かみんながそこそこの情報量と処理能力を持ってなんかいるわけでもないから、お互いにある程度の経緯は持ってないと、何か生産的な議論をしてないんだから。

司会者:「圧がかかって言いたいことが言えなかった」とか、「恐怖を感じた」みたいな状態にはしないように思うんですけど、そこは本当に私の責任でもあると思うんですね。ポンの助さん聞いてて、いかがでしょう。ここではここまでどうでしょうか

ポンの助:あの最初、ひろゆきさんとあの米山さんが意見を交わしたときちょっと見づらかったんですけど、途中から平石さんのファシリテーションや、他の方々が何か上手く仲裁取る形のご意見あったときに、あの一気に見やすくなったな。

若新:番組はその両方がないと、もうここで視聴者が離脱しちゃっているじゃないですか。やっぱ、最初にちゃんとエンタメ的にバチバチ始まって、「おーっ」てなったけど、解説者が入ってきたみたいなのがパッケージされてないと、、、。

さっき、山崎さんがおっしゃったことにちょっと僕はヒントあるなと思ったのは、結局多くの人は議論する側にはあんま参加してないと思うんですよ。つまり、それは「どんな議論をするかじゃなくて、どんな議論を見るのか」っていう話にもなる気がして、一応、その学会とかで社会のいろんな問題については話し合ったりとか、事実の積み上げによって論戦するってことをトークセッションとかでもやってるんすけど、あれYouTubeとかに公開しても再生回数25みたいなあって、みんなも編集する方はポストで心折れるってなると思うんですよね。

結局、それはなかなか、みんながそこまでそういう研究者たちの事実の積み上げによる議論に耐えうる、見ることに耐え得るかって、難しいと思うんだけど、どこまでエンタメ化して、どこまでみんなが見続けるっていう状態を作って、あとはやっぱ、人間の歴史って発見の積み上げによってなるようにしかならないと、僕は思うので、みんながどうであれ、これ議論を見続ける状態を作らなきゃいけないってなると、そのエンタメ性と、あとはその辺のバランスかなと思うんですね。

山崎:それで言うと、アベプラはアフターひろゆきをどう作っていくか、結構、大きなテーマとしてあって、多分、プロ6年目とかだと思うんですけど。ひろゆきさんが出始めた2年とか3年ぐらいで、ひろゆきさんがもうここまで、こんなに文化人の一番いい最有力インフルエンサーみたいな感じになって、今、多分ピーク、もっといくかわかんないですけど、すごく有名人になった後に、どういう議論を作ったり、ひろゆきさんをここまでにした番組として責任があるんじゃないかっていう、、、。

ひろゆき:さっき言っていた元々違う立場だったけど話を聞いて考え方が変わったっていうので、僕、社会のほとんどのことどうでもいいので、あの立場決めてないんですよね。

例えば、ケンコバさんが来たときに、あの漢字をちゃんと書き順を覚えた方がいいか漢字書けるようになった方がいいか、っていうときに、「僕、漢字書ける方がいい側」に移ったんですよ。要は、そのいろんな話し合いをして、確かに「漢字書けなくていい側」が強いんだったら、「書けてる側でいこう」と。最初から人は書ける側、書けない側の両方いるんですけど、こういうふうな意見があったらこっちだよねとか、こういうふうな意見ならこっちだよねっていうので、両者の人が自分の考えを代弁する人がいて、お互いにいいこと言ってるけど、こっち側にいる人、あっち側にいる人っていうので、僕どっちでもポジションを移せるんですよね。

司会者:うん、それはひろゆきさんと私が一緒に番組をやってて、ひろゆきさんに助けられてるのは、ひろゆきさんは背負ってるものがないんですよね。相手の方が背負ってるものがあるときには、その背負ってるものを守るための言説になっていくと言論になっていくと、しんどさが、、、。

若新:でも、その背負ってるものがある人って、その背負っているものゆえにその人の部下とか、その人の周りにいるメンバーを結構、苦しめていることがあるんですよね。だから全くその人は意見を変えないとか、その人が会社の上司になったり、例えばその所属政党とか所属団体のボスになると、「ちょっとこれ変なのにな」っていうけど、多分そういう誰も反論できないでしょ。ある意味ではそこにメスを入れてったっていうところは、多分、ひろゆきさんや論破ブームのそのカタルシスだった気がするから、本当はそういう人たちが勝ち負けにこだわらずに来て、「俺も今まで全く意見変えられなかったけど、この議論してちょっと変わったわ」みたいなものが何か頑固インテリみたいな人から見られてきたら面白さ出ると思うんですよね。

司会者:ひろゆきさんと話すときには、あのVSにならないってことが大事で、ひろゆきさんにアイディアをもらうと思えば、非常に、どんどんアイディアを出しているんだから、コンサルだと思った方がいい。

米山:僕はあくまでもVS。

司会者:ちょっと、米山さんからひろゆきさんに求めた方がいいですよ。

米山:いや、お断りします。

司会者:いやだから僕の浩之プロデュースになったらもう一段上がりますよ。

米山:いやお断り申し上げます。

若新:でも多分、僕はそこだと思っているでんすよ。多分、米山さんが、僕らが知らないだけで、米山さんが所属している団体とか、いろんなとこでは、米山さんが多分すごいものすごくやっぱ強くて、みんな米山に論破されてきた歴史があると思うんですよ。それを見ている人が「あいつに散々偉そうに言われてきたけど、ほらこいつだって完璧じゃねじゃん」みたいなのは、やっぱり、みんなが見たかったっていうか、VSっていう構造はどこかでは限界がある気がしますけど。

司会者:おっしゃる通りですね。はいその意味で言うとローズさんが最初におっしゃった、言われた人の気持ちを考えましょうっていうことは一つ論点として大事だと思うんすよね。これどう考えたらいいですかね。そういう意味では。要するに背景がないままバンバン来られたときに、いろいろ背負っているものがあって、「やっぱり意見変えられない」とか、やっぱ、その立場に立って喋らざるを得ない人たちの思いとかってあると思うんですよね。それ自体を否定するつもりは、私はないですけど、どうですかね。

ローズ:でも、なんかすごい僕、逆にこの番組に出るようになって。絶対、イエスかノーかの自分の意見を持ってここに来なきゃいけないってずっと思ってたんですよ。だけど、そのひろゆきさんのさっきの言葉で、実は僕、どっちでもないみたいな(自分の意見を)変える、その心の余白みたいな柔軟性ってのは、すごい重要だなっていうのを改めて感じて、その心の柔軟性とか余白がその相手に寄り添うベースのものになるんじゃないかなって思って、

ひろゆき:余白あっても寄り添わないですよ、

司会者:でもやっぱり、陥りがちな議論の中であるのは、「私は絶対これだけを言う」だけでくると、しんどい思いをする方がいると。「みんなの意見を聞いてみよう」っていう部分が少しでもあると結構話せると。意見変えなくていいんですよね。変えなくてもいいけど、少し聞く気があると、「ちょっと話の展開が違うかな」っていう感じはしますね。

ローズ:自分のイエス・ノーを絶対的にしないで、変えてもいいと。その謙虚さとか優しさってすごい重要なんだなと思いましたね。

司会者:やっぱり(ゲストを)呼ぶ側として、その変えることまで求めることは、やっぱりできないとは思うんですよね。「少しみんなの意見も聞いてみましょうか」っていう、ゆとりというか、余白があるんですよ。

ひろゆき:でも、ポジションを持っちゃって、(それを)変えられない人が、ボコボコにされたがゆえに変えなきゃいけないよねって、支持者をもっちゃうっていう「ハンコ議連パターン」もあるじゃないですか。僕はあの「ハンコ議連」の人はあのポジションで喋り続けたけど、ハンコ屋さんが「いや、これはやっぱ無理だわ」って感じだったんだと思うんですよ。っていう意味で、だからボコボコにされることで助かるっていうのもあると思うので、僕はあえてそこはボコボコにするというのは社会のためなんじゃないかなっていう気もするし、

米山:それは、、、でちゃんとやらないと議論にならない。

若新:ただ、結構、日本人って本場アメリカのその生まれたディベートのゲームのルールって知らない人結構多いみたいで。アメリカのディベートのほとんどの本番のルールは議論が始まる直前にくじ引きで肯定か否定かって決まって、つまり準備に行く段階で自分がどっちで喋るって決まってないんですよ。でもなぜか日本の教育に入ったときは、事前に肯定派否定派っていうのを自分の意見で分かれたりとか、あるいは、前もって決められてその立場で話すっていうトレーニングをした学校とかが多くて、これ意味ないと思うんですよね。まさに、やる前にくじ引きで「俺はこっち側で喋るんだ」ってなって。だったら準備してきたありとあらゆる角度からこっちの場合だったらどう論述できるかが。

ひろゆきさんの絶対譲らないところは、自分の意見を譲らないんじゃなくて、今日はこっちの立場でゲームに参加するって決めたことに関しては何が何でも負けないっていう執念は感じるんですけど、だからその相手の立場になった人がスッゴイムキになると。ひろゆきさんは多分ね、くじ引きで「今日こっちか」的な感覚程度なんですよ。ただ、それを絶対に変えない。ゲームは負けないっていう強さがあって、

ひろゆき:アメプラ以降の、僕以降誰を作るかって話で、結局、「朝生」の田原総一郎さんと、と僕って、どっちにも動ける人なんすよ。結局よく喋る人で、どっちでも動ける人がいないという問題だと思うんですよね。なので、僕と同じことをやれる人がいたら、多分同じ仕事になると思うので皆さん頑張ってください。

司会者:コメントいただいています。議論民主主義はどこまで少数派の意見に耳を傾けるべきかと。声のでかい少数派問題もありますよねという声ですね。うん。どうでしょう。

米山:それはでも、声のでかい少数派もそれを聞くべきだと、それだったら言ったらいいがな。逆に声が小さい、多数派も、大きく言いたいなら大きく言えばいいし、それを双方が言った後で、最後は誰かジャッジしなきゃいけないんだから。例えば公園の問題だけど、一人だけ公園の文句言ったら閉鎖しちゃったみたいな、あれはその文句を言った人が悪いんじゃなくて、うまくジャッジしなかったジャッジ役の行政が悪かったと思いますけどね。

司会者:いわゆるノイジーマイノリティ、そしてサイレントマジョリティーというね、よく言われる問題ですけれども、どう受け止めるのかということは、、、

ひろゆき:ただ、何かその結果、誰も幸せにならないっていうパターンがあったりして、最近のAV新法とかで、AVで無理やり撮られた被害者がいるんだと思い込んでた議員が法律を作った結果、AV女優の仕事がほぼなくなってしまって、現役AV女優が困っていて、助かった被害者というのも別に存在しないっていう、みんなが不幸になって終わりで、結局、国内でA V作れなくなって、海外の違法なんとか輩が作ったやつが海外側のサイトにいっちゃって。税金も取れなくて海外に渡るサイズだけを設けっていう、誰も幸せにならないパターンになるんですよね。なので、僕はそこで何人なの、それは少数の多数なのってちゃんと数字を出すべきなんすけど、「かわいそうな女の人がいるのにこの法案に反対するんですか」っていうお気持ちになっちゃうと誰も幸せにならない結果になるので、まずそのお気持ちに寄り添うっていうのを本当に被害者がいるなら、感情として寄り添ってもいいんですけど、最後は数字で判断すべきだと思うんすよね。

米山:そういうに議論する。そういうふうに多数派がちゃんと議論を投げかけて、答えてこなかったらそれじゃ駄目ですよねって言うべきだったでも、逆に、そういう結果としてそういう確かに少数派の意見が採用されて、皆不幸になったんだけど、あるとしてでもそのプロセスを否定してしまったら、それ民主主義を否定じゃないですか。だってあれはちゃんと法案通ったんだから。それはその法案を通すところで阻止しなかった方が悪いとは言わないけど、しょうがない。ときに民主主義はそういうふうに誤るんだっていうことだと思いますけどね。

司会者:はいあおちゃんぺ、さん、ここまでどうでしょうか

あおちゃんぺ:何か今多数派と声の大きい少数派の話になったじゃないですか。私、多分どっちでもない声も出してない大多数のうちの1人だと思うんですよ。それは何かっていうと、「今日別に興味ない、どっちでもいい」のうちの1人だと思ってるんですよ。私のその議論の意味っていうのはここに来るときにイエスもノーも私当然決めてないです。興味ないから。それでここでみんなのことを聞いて、どっちで決めるんじゃなく、興味を持つっていうのが私のその内一つのここの場に来る意味みたいな感じなので、その議論がイエスかノーかを決めるんじゃなくて、興味を持つ1人を増やすっていうのも議論の意味かなって思います。

若新:うんその通りだよ。だから選挙も結局は、声なんかあげてない多数派に興味を引かせたもん勝ちなわけじゃないですか。だからやっぱり、その民主主義ってのは、僕はあの目は荒いっていうか、細かいものは全部は上手にキャッチアップできないっていうか、だってそうじゃん、一人一人が詳しく議論してないわけだから、なんとなくこっちのがいいかもって言って、再生回数とか視聴率って、まさに声を上げてない多数派がそれでも興味を持ったかどうかってのは数字に表れてると思うんすよ。だから、それよりはそれで、すくいきれなかった細かい人をどうするかっていうのは多分行政サービスや裁判でちゃんと救うとかってことだと思うんすけど、やっぱ、ツイッター上は民主主義的な世界と結構近いと思って、やっぱり、みんな興味を持った者の方に流れるし、それをどうかって言っても仕方ないかなって、民主主義は多数決ですからねそれはね、はい。

司会者:そしてもう一つ、冒頭に山崎さんがおっしゃった見る側の意識っていうのをちょっと考えてみたいと思うんすけど、残された時間でですね、こうした議論をどう見ればいいのかということですよね。それこそたくさんの人が見てくださっている中で、それはひろゆきさんどういう思いでね、見ている人に対して何か言うことは

ひろゆき:見ている側が得したなとか、情報量増えたなとかで、同じような話を誰か別の人と別の機会があるときに「こういうのが、こういう情報があってこういう話があるよ」っていう説明ができるようになってればいいかなぐらいの感じですかね。

山崎:なんか私もそのつもりで情報っていうかアベプラとか、日経テレ東とか見てるので、何かその自分の意見をどうやって築こうとか、誰と対立してるかとかを確認したいんじゃなくて、「この事象に対して、どういうふうに思ってる人がどの理屈で思ってるのか」っていうのを知りたくて見ているだけなので、何かそのツアーに自分がわからないものを、「わからないから知りたい、学びたい」っていうその欲求があるかどうかにもよるのかなって思うんですよね。その人の言っていることを攻撃的に見ちゃうのは、うん、多分そこの違いもあるのかなとは思います。

米山:どうぞ、その辺もすごく賛成で、多分政治家だから、演説会とかするじゃないすかね演説会のポイントはやっぱりね、お土産を1個持たせること。お土産ってあの、「これ聞いて初めて知った」みたいな、「何か情報は確かに情報増えた」ってそうすると演説会になるんですよね、満足してくれる。だからこっちはもちろんそれに楽しませる何かを得るようにするべきだと思う。

でも同時にさっき民主主義政治家というのはコロセイムの健闘者なんですけれども、またそれを現代サッカーだと言ったとしたら、あのサッカーってもちろんその選手が頑張ること大事ですけど、いい観衆がいいサッカーチームを作るじゃないですか。やっぱり目の肥えたそのサッカーの観衆が「あれよかったよね。負けたけど良かったよね」「勝ったけど、駄目だったよね」とちゃんとジャッジできるようになると、やっぱ育っていくわけですから、やっぱり人に求めるのはちょっと違うんですよね。政治家が求めるものは違うんですよね、でも有権者の方もやっぱりちょっと見る目を持とうと、「あいつらの議論というもののどっちが真っ当な議論をしているかを判断しよう」と思ってくれると良くなってくんじゃないかなと思います。

司会者:山崎さんもうちょっと突っ込むと、どうですかね。先ほどちらっと言ってましたけど、やっぱり言い方の問題とかによって、逆に離れてしまう人もいるんじゃないかって言いますかね。いわゆる、言い方悪いすけどひろゆき論法的なことについての、うん影響っていうのは功罪ある部分もあったりするかなっていう感じです。

山崎:もう私も割と何かその他人の言ってることとか趣味嗜好とかどうでもいいタイプなんで、「何かそういう言葉遣いをされる人なんだなふん」ぐらいで、なんかだから嫌いになるとか、だから好きになるとかなくて、別に自分が関わらなければいい話で、うん、嫌だったら、うん、だから別にそれはちょっと子供の教育上どうとかまたそれは別として、何か自分が好き嫌いで、別にエンタメなんて選択すればいいんじゃないかなと思います

西山:なんか私、これ見る側の話で言うと議論の前後が特に後がすごく重要だと思って、これ去年、宮台先生が言っていたことなんですけど、議論がちゃんと民主主義社会において成立するためには、誰かインフルエンサーが何かを言った後に、ミドルマンがいて、その人たちがこれをこういう意見があったけど、どういうふうに議論するんだろうっていうのを見た人が、またさらにそこで話し合い、それは多分新橋の居酒屋みたいな話でもよくてちゃんとそこで自分が意見を発するってことが大切であって、何かこういうアバプラとかTwitter議論とかのエンタメ論破ゲームの悪いところは、そこからそこでスカッとしちゃって、その後自分の意見を言うとか、何か自分で話す、考えるっていうところに至らないっていうとこだと思うんだよって。うん。それがやっぱ今年もまた続いてしまったというか。去年皆さんに言われたことがね。あんまりちゃんと何か機能してない。さらに悪い方向に行っちゃったところもあるのかなっていうふうにちょっと思ってます。

司会者:ローずさんどうですか。

ローズ:ひろゆきさんのYouTubeとかもたまに見たりしてるんですけど、なんかすごいなって思うのは、結構本当にイエス・ノーの決めてなくて、あなたはどっちがいいですかみたいな相手にイエス・ノーって決めさせるじゃないですか。でもそれをやるって両方の意見を自分の中に全て取り込んでないとできないことだなっていうふうに思ってて、最終的にそれ取り込むじゃないですか、「自分の中ではイエス・ノーって出してるのかな」っていう。ことはずっと疑問として持ってたんですけど、

ひろゆき:友達とか知り合いとかに相談されたときに、すごく前提条件細かく聴くんですよね。この状況でこうだったら生活保護を取った方がいいよねとか、この状況でこうだったらこれはワンチャン働いた方がいいよとかで、個別に全て完答は最適な答えが変わるべきだと思っているので、うんあんまりこれの考えはこれとかって僕はあまり決めないですよね。

会者:そこもこだわってるとこですね、ひろゆきさんはね、ひろゆきさん名誉のためにといいますかね、ご自身は論破したとかそんなこと言ったことがないっていうことはしょっちゅうおっしゃっていることで、ご自身の口からどうぞ。

ひろゆき:「はい論破」とは一度もいったことはないのですが、そういくことになっちゃっているみたいですね。その視点の話で僕が、割と見るそういう番組で視点が面白いとか宮台先生とか宮岸先生とかで、今日本がやっていることは1000年後の人類史に残すためにやってるんだみたいな思いもつかない視点を持ったことを言ったりするよね。「そっから考えるとそれは正しい」みたいな。イエール大学の成田先生とかも、人類が死んだ後にこうなりますよね、みたいな話をすると「それも確かにあるよね」みたいな。考える論理的に考えるって大体大学出てればみんなできるんすけど、土台とか視点が全然違う人が結構好きなんで、そういうのが好きで僕視点として見てます。

若新:だから、あとはだから激しい議論とかした後に1個だけこういう仕事していて足りないなと思っているのは、僕格闘技好きなんで見るんですけど。やっぱ殺し合う勢いで殴り合ってるけど、どういう結果でも絶対最後はお互いにたたえ合ってるじゃないですか。一つだけ思うのは僕が出ている番組がそうだったからかもしれないけど、一度も見たことないんですけど、どちらかがボコボコにされた後に、「今まさに歴史に残るような議論はできたけど、そしてあなたを負かしてしまったけど、でもここでバトルしたおかげで人類何かになったよね」ってたたえ合いみたいなものはなく、本当にみんな気まずいまま帰って。

これは、ひろゆきさん本人のせいにするつもりはないけれども、ブームによってもたらされた罪ではあると思う。つまり、それを単純に真似て、つまり殴り合って負かして帰ってるみたいなものじゃないすか。そうじゃなくて、それはわざわざそこで別に相手が頭があんまり良くなくて変な理屈を言ったとしても、一応。プライドをかけて喋ってるわけだし、その人の人生があるから、リスペクトみたいなものを持つってことは、バトルって言うんだったら、僕は必要で。それはでもひろゆきさんは、あんまり僕は、ひろゆきさんがその言い負かしたことになった相手にリスペクトを見せる瞬間を見たことがないから、なんだけど、ひろゆきさん個人はね、「僕は何もそもそも関心がないから、どっちでもいいんだ」って言われてしまうと、そうなんだけど、そのニヒリズムを超えたところにある「リスペクトって何だろう」ってことは、ひろゆきさんの問題で、個人的な問題がないところで、僕らが考えるべきかなって気はしています。今、リスペクトはね少ない気がする。

ひろゆき:誤解があるなと思ってて、僕もプライベートとかでもめちゃめちゃもめる相手とかでも、結構、仲直りできちゃうタイプなんですよ。なのでその番組上こうなりましたってなったら別にいつでも仲直りできるって思っちゃってるんすよね。

女性:なんでなんですか?

ひろゆき:いや別に嫌いじゃないから。だから、米山さんが奢りますよって言ったら、僕ついてくんですよね。ただその何か揉めましたとか、この人と言い争いになりましたとかって、僕は別にその人が嫌いではないですよ。

若新:心の中ではそうなんすね。だったら、ボクシングの試合ではやっぱり勝者の方が手を差し伸べるじゃないですか。あれ敗者の方から、「ありがとう」とは言い難いから、もし2023年、ひろゆきさんが論破した相手に、「とはいえ、僕実はあなたとご飯食べますよ」っていいよって言ったら、中高生たちも、そっか、こういうバトルの後にはリスペクトが大事なんだっていうのが、、、。

ひろゆき:リスペクトしているかどうかと関係なく、誰でも飯を食いにいきます。

若新:僕だから本当はそのリスペクトが本当の意味で必要かなって気はするけど、そこはひろゆきさんに求めるのかどうか別としてね、

司会者:ひろゆきさんあれ、堀江さんは?

ひろゆき:堀江さんは好きですよ。彼が僕のこと嫌いなだけで。

司会者:いやいや、でも、ひろさんはね、相手をねじ伏せようと思ってやってるわけじゃなくて、思うがままに、背負うものなく突っ込んでいるだけだ、っていうのはその通りではあるんですけど、やっぱ受け取り手としてはね、必ずしもそうではないという意味では、若新さんおっしゃるように、こちら手を差し伸べるっていう、

山崎:あとね、放送後の何て言うか、握手みたいな私、亀井静香さんが番組に来たときに、、、。

司会者:そうですよ。若新さんおのいう通り、全てがぐちゃぐちゃになっているわけじゃない。

山崎:けどなんかわからないけどね。放送後になんかもうめちゃくちゃ笑顔であの写真とかなんか、若いから頑張ってねとか言ってくれたりして。

若新:でも、少なくともこのブームでそういう動画をたくさん見ちゃってるキッズたちには、やっぱり、それが最後はリスペクトを持たないと、ひろあきさんぐらい天才で、社会のことなんて全然気にしない世捨て人になれるわけじゃないんだから、そこはみんな意識してほしい感じですね。

ひろゆき:僕があのリスペクトがなくて、世捨て人になっている前提になっているとか。

米山:それからひろゆきさん別に天才じゃないよね、だからやめようよ、

そういう変に、持ち上げるのやめようよ。

司会者:ポンの助さん、さあ、どうでしたでしょうか。一時間議論してきましたが、

ポンの助:はい。さっき格闘技とかBreakingDownとか出てきたと思うんですけど、私あんまり見るの好きじゃなくてですね、理由としては、多分、負けている側に多分感情移入をしてそうしてしまうからなんだろうなと思っていて。今日の議論って多分、皆さん戦闘力が高い方同士の議論だったので、そういう意味で見ていてのつらさはちょっと少なかったなっていうふうに思いました。

司会者:そうですね。その意味でいうと議論であるならば格闘技じゃないわけですから

ひろゆき:ポンの助にちょっと確認したいのは、やられて、なんかへこんでるとか気まずくなってる人を見るのが嫌で、いくら強い言い争いをしても、お互い別に何かへこんでる感じがなかったら結構、見られるってことでいいですか。

ポンの助:そうですね。ただ、多分、自分が逆の立場だったらメンツ潰れてるなってちょっと思っちゃった瞬間に、きついなって思っちゃいます。はい、なんか自分基準でちょっと考えちゃうっていうところあります。

西山:何か思うのは議論に負けていたとしても、ひろゆきさんって全く何か傷つかないというか、その圧倒的な自己肯定感、何を言われてもう、もう全然へこまないみたいな自己肯定感を教育とかで、日本って何か議論をするのがそもそもないから、ヨーロッパとかだと議論をして、何を言っても「あなた、こんな意見もってすごいね」みたいな褒められるって教育は多分小学校ぐらいからあって。

司会者:そうですね。本当の意味でのね喧嘩と格闘技じゃないわけで言うならば、やっぱり今のポンの助さんの話をいただくなら、優勢に立ってる方が、少しやはりリスペクトを持ってですね、手を差し伸べる部分ももしかしたら必要な議論があるようです。高々、1時間程度で結論が出るようだったらね、こんなに毎日苦労しないってことでね。今年より来年もちょっと進化できるようにね、頑張っていきたいなというふうに思います。今日はここで示させていただきます。ポンの助さん、米山さん、そしてひろゆきさんでしたありがとうました。

ありがとうございました。ABEMAPrime進行の平石直之です。ご視聴ありがとうございます。これを機にチャンネル登録よろしくお願いします。